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東京地方裁判所 平成6年(ワ)13147号 判決 1998年5月29日

東京都中央区日本橋人形町二丁目一番一号

原告

合資会社重盛永信堂

右代表者無限責任社員

重盛永造

東京都品川区小山三丁目二〇番七号

原告

有限会社重盛又雄商店

右代表者代表取締役

重盛又治

右両名訴訟代理人弁護士

榊原卓郎

石川正樹

依田敏泰

東京都品川区小山三丁目二〇番七号

被告

株式会社シゲモリ

右代表者代表取締役

重盛雄一郎

右訴訟代理人弁護士

安井桂之介

濵涯廣子

右訴訟復代理人弁護士

柄澤昌樹

主文

一  被告は、「東京名物 重盛の人形焼」の文字からなる標章又は「重盛の人形焼」の文字からなる標章を人形焼(菓子)の包装紙、しおり、案内書に使用し、又は右各標章を包装紙、しおり、案内書に使用した人形焼(菓子)を販売又は販売のための展示をしてはならない。

二  被告は、その和菓子製造工場及び同販売店の営業に「東京名物 重盛の人形焼」の文字からなる標章又は「重盛の人形焼」の文字からなる表示を使用して、人形焼(菓子)の製造販売をしてはならない。

三  被告は、その販売店の店頭に掲げられた看板から、「東京名物 重盛の人形焼」の文字からなる営業表示を抹消せよ。

四  訴訟費用は被告の負担とする。

五  この判決は仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

主文同旨

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告合資会社重盛永信堂(以下「原告永信堂」という。)は、現在の代表者の父である重盛永治(以下「永治」という。)が大正六年に創業した個人商店である重盛永信堂を、昭和一六年九月一日、菓子製造販売等を目的とする会社組織化して設立されたもので、その主力商品は、「ゼイタク煎餅」(商標登録されている)との標章を付した煎餅と、「重盛の人形焼」との標章を付した菓子の人形焼(以下において、右標章が付された商品それ自体を「ゼイタク煎餅」、「重盛の人形焼」ということがある。)である。

(二)(1) 原告有限会社重盛又雄商店(以下「原告又雄商店」という。)は、現在の代表者の父である重盛又雄が、兄である永治から昭和一三年一二月に重盛永信堂の武蔵小山分店として暖簾分けを受けて始めた個人商店である重盛又雄商店(以下「又雄個人商店」ということがある。)に由来し、現在に至るまで、右「ゼイタク煎餅」と「重盛の人形焼」を主力商品として製造販売している。

(2) なお、現在の原告又雄商店は、平成三年一二月六日に設立された有限会社広治の商号を、平成四年七月二〇日に変更したものであるが、又雄が死亡した後に設立された有限会社重盛又雄商店(平成四年七月二〇日に有限会社人形焼に商号変更され、同月三〇日に解散登記がされている。以下「旧又雄商店」という。)の営業や暖簾を引き継いだものである。

(三) 被告は、平成三年一〇月四日に設立された菓子の製造販売等を目的とする会社であるが、被告の代表取締役の父である訴外重盛好雄(以下「好雄」という。)は、原告又雄商店の代表取締役である重盛又治(以下「又治」という。)の弟であり、もとは、好雄も又治とともに旧又雄商店で「重盛の人形焼」の製造販売に従事していた。

2  「重盛の人形焼」の商品表示としての周知性

(一) 「重盛の人形焼」は、永治が大正六年に七福神の型にカステラと飴を入れて焼いた和菓子としてその製造販売を始めて以来、美味しいうえに縁起も良いということで名物となった。そこに至るまでは、永治の、昭和元年に軽飛行機から宣伝チラシを撒いたり、東京都内の電柱にビラを貼る等の広報宣伝活動の蓄積があった。

(二) 「重盛の人形焼」は、伝統の味を重んじるため、その店舗で手作りした商品を販売しており、機械による大量生産は行っていない。にもかかわらず、「重盛の人形焼」は多くのガイドブック類や和菓子を紹介する雑誌等に掲載され、あるいはテレビ番組でも再三紹介されているほか、ラジオコマーシャルも流している。

(三) また、原告永信堂で長年働き実績のあった者に暖簾分けをした結果、今日では、東京都区内に支店が一三店舗、分店(永治と血縁関係のある者が経営する店である)が三店舗あるほか、綾瀬市、竜ヶ崎市にも支店がある。そして、これらの店舗のみが「重盛の人形焼」の文字からなる標章を用いることを原告永信堂から許諾されており、原告永信堂はもとよりこれらの支店・分店の営業活動により、「重盛の人形焼」の信用が高められている。

(四) したがって、「重盛の人形焼」の文字からなる標章は、人形焼の老舗・本舗である原告永信堂及びその支店・分店が製造販売する人形焼並びにその人形焼の製造販売の営業を表すものとして、人形焼の愛好者を中心に、少なくとも東京都区内及びその周辺地域において、昭和一三年頃には既に周知となって現在に至ったものである。

3  被告の行為

(一) 被告は、原告又雄商店の店舗に隣接して、「東京名物 重盛の人形焼」及び「重盛の人形焼」という看板を掲げて和菓子の製造販売を行っているが、被告が販売する商品の中には人形焼も含まれており、その人形焼のしおり、商品の説明書、包装紙等にも「東京名物 重盛の人形焼」という標章を用いているほか、看板には「昭和一三年創業」との表示も掲げている。

(二) また、被告の電話番号は三七八五-八八五四であり、原告又雄商店のそれは三七八一-八八五四である。

4  商品主体及び営業主体の誤認混同並びに営業上の利益を害されるおそれ

(一) 右3のような被告の行為からすれば、内部事情を知らない一般の顧客は、原告又雄商店と被告のどちらが原告永信堂の分店であるのか誤認混同することは明らかであるし、特に「昭和一三年創業」と表示することは、原告永信堂が管理している暖簾の正当な承継者であることを表示していることに他ならない。

(二) 原告又雄商店は、被告店舗の開店によって売上げが半減しており、営業上の損害を蒙っていることは明らかである。

(三) 暖簾を管理している原告永信堂にとっても、暖簾分けに際しては、支店・分店相互の距離を一キロメートル以上離すとの規約を設け、それぞれの支店・分店の営業基盤を害さないことを意図しているにもかかわらず、店舗を隣接させて正式な許諾もないまま「重盛の人形焼」という標章を使用する被告の行為を容認することは、「重盛の人形焼」という標章に体現されている信用や暖簾の無体財産権としての価値を維持し、これを保全する活動の余地がなくなるのであって、八〇年にも及ぶ伝統の下で培った信用を損なわせるものとして、著しい損害がある。また、今まで許諾を与えてきた暖簾分けの意味もなくなってしまう。

5  結語

よって、原告らは被告に対し、不正競争防止法二条一項一号及び三条一項に基づき、主文一項及び二項記載の裁判を求めるとともに、同条二項に基づき、主文三項記載の裁判を求める。

二  請求原因に対する認否反論

1  請求原因1(当事者)について

(一) 請求原因1(一)の事実は認める。

(二) 同1(二)の事実のうち、又雄が永治から昭和一三年一二月に暖簾分けを受けて重盛永信堂の武蔵小山分店として重盛又雄商店を始めたこと、現在の原告又雄商店は、平成三年一二月六日に設立された有限会社広治の商号を平成四年七月二〇日に変更したものであること、又雄死亡後に旧又雄商店が設立され、有限会社人形焼に商号変更された後、平成四年七月三〇日に解散登記がされていること、以上の事実は認めるが、原告又雄商店が旧又雄商店に由来し、その営業や暖簾を引き継いだとの主張は争う。

(三) 同1(三)の事実は認める。

2  請求原因2(「重盛の人形焼」の周知性)について

(一) 原告ら主張の事実は知らない。「重盛の人形焼」との標章に周知性が認められるとの主張は争う。

(二)(1) 原告らも自認しているように、人形焼は大量生産になじまない商品という特殊性を持つし、原告らが製造販売している「重盛の人形焼」は、原告らの店舗で販売するだけであって、デパートやスーパーマーケットのような一般的に消費者の目に付くような場所で売られているわけでもない。

(2) 原告永信堂の分店・支店は、東京都区内で合計一六店舗しかなく、そのほとんどはどれも家族従業員で経営されている小規模店舗である。しかも、そのうちの多くの店舗では、看板に掲げているのは「登録商標ゼイタク煎餅」であって「重盛の人形焼」を看板に掲げている店舗は圧倒的に少ない。

なお、原告永信堂が暖簾分けをしているのは商標登録されている「ゼイタク煎餅」だけであって、「重盛の人形焼」については暖簾分けの対象となっているわけではない。

(3) 宣伝媒体といっても、人形町や水天宮を特集するガイドブックにゼイタク煎餅とともに紹介されるのが主であって、テレビというもっとも一般的な宣伝媒体を使って原告らが「重盛の人形焼」の宣伝をしているわけでもない。また、ガイドブックで紹介されているのも、「重盛永信堂(人形焼)」とのみ記載されており、「重盛の人形焼」とは載っていない。

(4) 以上によれば、商品の種類、営業の形態、店舗の数等の営業規模、宣伝広告の種類のいずれからいっても、「重盛の人形焼」の標章が周知性を獲得しているとは到底言い難い。

3  請求原因3(被告の行為)の事実は認める。

4  請求原因4(誤認混同及び営業上の損害)について

(一) 原告らの主張は争う。「昭和一三年創業」と表示しているのは、原告永信堂の商品との誤認混同を生じさせる趣旨ではなく、旧又雄商店の人形焼に関する営業の承継を示す趣旨で使用しているものである。

(二) 原告又雄商店の客も被告の客も、そのほとんどが地元商店街で買い物をする主婦層であり、各店舗の味についた固定客であって、原告永信堂の分店であるからといって購入する客ではない。仮にそのような客がいたとしても、原告又雄商店は原告永信堂の分店であることを表示しているのに対し、被告はそのような表示をしていないのであるから、原告永信堂の分店で「重盛の人形焼」を買おうと思った程の客がこれを見誤ることは考えられない。したがって、被告の店舗が、原告又雄商店の営業上の利益を害するとはいえない。

(三) 原告永信堂とその分店である原告又雄商店との間には、原告又雄商店の利益の一部を原告永信堂に納めるという関係はなく、仮に客が被告の商品と原告又雄商店の商品を混同したとしても、原告永信堂に直接的な経済的損失は一切ない。また、原告永信堂が分店・支店に暖簾分けしているのは「ゼイタク煎餅」に関するものであって「重盛の人形焼」に関するものではないから、原告永信堂には、「重盛の人形焼」の暖簾としての価値が損なわれることによる営業上の損害はそもそもあり得ない。

三  仮定抗弁

仮に「重盛の人形焼」との標章が、原告永信堂及び原告又雄商店の製造販売する人形焼あるいはその製造販売の営業を表示するものとして現在周知性を有しているとしても、以下のとおり、被告には「重盛の人形焼」との標章を使用する権限がある。

1  又治及び永造らの承諾

(一) 旧又雄商店では、又治と好雄両名の母である志ん子が代表取締役となり、又治と好雄が実質的に店を運営していたが、人形焼の製造は専ら好雄が受け持っていた。平成三年に至り、又治と好雄の間で店を二つに分ける話が持ち上がり、旧又雄商店の店舗の敷地内にそれぞれ別個の店舗を新築し、又治が「ゼイタク煎餅」を製造販売し、好雄が人形焼を製造販売することで合意した。そして、原告永信堂の代表者である永造も又治から右合意内容を伝えられ、これを承知していた。

(二) したがって、原告永信堂は、好雄が「重盛の人形焼」との標章を用いて人形焼を製造販売することを許諾していたのであり、現にこれを用いているのが被告であるとしても、その差止めを求めることは信義則上許されない。

また、原告又雄商店の現代表者である又治が右のような合意を好雄と交わしているのであるから、右合意当時に原告又雄商店が設立されていなかったとしても、原告又雄商店が被告に対し、「重盛の人形焼」の使用の差止めを求めることは信義則上許されない。

2  先使用

(一) 又雄は、昭和一三年一二月に、永治から暖簾分け(暖簾の譲渡)を受けて又雄個人商店を興し、それ以来、又雄あるいは又雄個人商店は、「重盛の人形焼」の標章を自己の商品を表示するものとして、重盛永信堂とは別個独立に使用するに至った。

右のような経緯であるから、又雄に「不正の目的」があろうはずはなく、したがって、又雄は、先使用による「重盛の人形焼」の標章の使用権限があった(不正競争防止法一一条一項三号)。その後、又雄個人商店が有限会社(旧又雄商店)になってからは、旧又雄商店が、自己の商品を表示するものとして「重盛の人形焼」を使用してきた。

(二) 平成三年に至り、又治と好雄の間で店を二分する話が持ち上がり、旧又雄商店の代表取締役であった志ん子も含めた話し合いの結果、旧又雄商店が所有していた暖簾のうち、「ゼイタク煎餅」が又治に、「重盛の人形焼」が好雄に譲渡され、好雄は平成三年一〇月四日、「重盛の人形焼」の暖簾を被告に譲渡した。したがって、被告は、又雄の有していた先使用による「重盛の人形焼」の標章の使用権を受け継いでいる。

(三) 仮に、「重盛の人形焼」の標章が旧又雄商店の所有でなかったとしても、又雄死亡後、「重盛の人形焼」の標章使用権は、妻の志ん子、又治及び好雄らに相続させる旨の黙示の遺産分割協議がなされ、右三名が共同相続した。そして、前記1のとおり、平成三年に又治と好雄が店を分ける段になって、右共有者三者の話し合いで、「ゼイタク煎餅」の使用については又治が、「重盛の人形焼」の使用については好雄がそれぞれ承継することが合意されたものである。

したがって、(二)の同様に、被告は、又雄の有していた先使用による「重盛の人形焼」の標章の使用権を受け継いでいる。

四  抗弁に対する認否反論

1  抗弁1(承諾)について

(一) 旧又雄商店では志ん子が代表取締役となり、人形焼の製造は専ら好雄が受け持っていた事実は認めるが、被告主張の合意の存在及び永造がこれを承諾したとの事実は否認する。

(二) 又治と好雄との間で、店を分けるという話が懸案となったことはなく、そもそもは、志ん子が旧又雄商店から独立するよう好雄に申し入れ、好雄がこれを了解したことが発端である。平成三年七月に店舗を建て直すこととなったが、好雄はさまざまな名目での法外な金銭の支払いを要求して右約束を果たさないままの状況が続いていたので、やむを得ず又治は、新しい建物においては、内部では好雄は独立し独自の計算で商売はするものの、対外的には同一店舗・一棟の建物との前提で、作業場のみを別にして好雄が人形焼を製造し、又治が「ゼイタク煎餅」を製造するという内部の役割分担を合意したことはある。しかしながら、あくまで同一店舗・一棟の建物という前提であって、別店舗において好雄が「重盛の人形焼」との標章を用いて人形焼を製造販売することを合意したことはない。

又治が永造に伝え了承を得たのも右合意内容にとどまるのであって、好雄が原告又雄商店の店舗に隣接した別個の店舗を新築し、「重盛の人形焼」との標章を使用することを許諾したことはない。

2  抗弁2(先使用)について

(一) 又雄が昭和一三年に永治から独立して重盛又雄商店を創業して以来、自己が製造する人形焼に「重盛の人形焼」との標章を付してこれを販売してきたこと及び旧又雄商店においても同様に「重盛の人形焼」との標章を用いてきたことは認め、その余の主張は争う。

前記1のとおり、そもそも「重盛の人形焼」との標章を好雄に承継させるとの合意はない。

(二) 原告永信堂が管理している暖簾は、「ゼイタク煎餅」と「重盛の人形焼」とが不可分一体となったものであって、これを分離して承継されることはあり得ない。また、暖簾は、修行をし技術を修得した者に本舗と同様の標章の利用を認めるという古典的な権利ないし制度であって、一度暖簾分けを受けた者の後継者がこれを承継するのであって、本件では、旧又雄商店の営業を引き継いだ原告又雄商店が暖簾を承継し、「重盛の人形焼」の標章の使用を許されているのである。

なお、原告永信堂は、平成四年一月一〇日、改めて「武蔵小山分店二代目 重盛又治」の名前で、暖簾分けを承認した形を採っている。

(三) 「重盛の人形焼」との標章は、又雄が独立した昭和一三年頃には既に周知であったから、被告の主張は先使用の抗弁の主張の前提を欠くし、そもそも、本件においては先使用の抗弁は主張自体失当である。先使用による保護の主眼は、当該周知表示とは無関係に使用していた場合であって、周知表示を使用している者から、その表示の使用許諾を受けている場合には、許諾の問題で対処すべきであって先使用権の適用場面ではない。

また、被告の主張を前提としても、先使用権の承継は営業と共にする場合にのみ認められるのであって、好雄は旧又雄商店から営業譲渡を受けておらず、退職金を貰って旧又雄商店を退職したのであるからこれを承継する余地はない。

第三  証拠

本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録の記載を引用する。

理由

一  請求原因1(一)の事実、同1(二)の事実のうち、又雄が永治から昭和一三年一二月に暖簾分けを受けて重盛永信堂の武蔵小山分店として重盛又雄商店を始めたこと、現在の原告又雄商店は、平成三年一二月六日に設立された有限会社広治の商号を平成四年七月二〇日に変更したものであること、又雄死亡後に旧又雄商店が設立され、有限会社人形焼に商号変更された後、平成四年七月三〇日に解散登記がされていること、同1(三)及び同3の各事実は当事者間に争いがない。

二  本件当事者の関係及び紛争に至る経緯等

1  右争いのない事実に、成立に争いのない甲第二号証の1・2、甲第三号証ないし甲第六号証、甲第八号証及び甲第九号証、甲第二四号証、甲第五〇号証、甲第五一号証及び甲第五四号証、乙第一号証、乙第三号証の1・2及び5並びに乙第八号証、原本の存在及び成立に争いのない甲第三八号証の1・2、乙第四号証並びに乙第七号証の1・3、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第一号証、甲第七号証、甲第一〇号証ないし甲第一六号証、甲第一九号証の1ないし18、甲第四四号証の1ないし8、甲第四五号証ないし甲第四九号証、証人重盛好雄の証言により原本の存在及び真正な成立が認められる乙第七号証の2、原告又雄商店代表者尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第三九号証、原告永信堂代表者尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第五二号証、証人重盛好雄の証言、原告又雄商店代表者尋問の結果及び原告永信堂代表者尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実を認めることができる。

(一)  原告永信堂の来歴

原告永信堂(以下「総本店」ということもある。)は、永造の父永治が大正六年に現在の中央区日本橋人形町で創業した個人商店重盛永信堂に由来し、昭和初年に現在の本店所在地に移転した後、昭和一六年九月一日に菓子製造販売等を目的とする会社組織として設立されたもので、創業当時から現在に至るまで、煎餅と七福神をかたどった人形焼を主力商品としており、前者は創業当時から「ゼイタク煎餅」の標章で(なお、「ゼイタク煎餅」は商標登録されている。)、また後者は遅くとも昭和二年ころから「重盛の人形焼」という標章で製造販売されており、永造は三代目の代表者に当たる。

(二)  原告永信堂の分店・支店及び登録商標規約書

(1) 原告永信堂で働いた菓子職人の中でその腕と人柄を認められた者は、永治が定めた「登録商標規約書」(以下「本件規約書」という。)に署名押印したうえで独立(暖簾分け)が許され、永治の身内の者は「重盛永信堂分店」を、それ以外の者は「重盛永信堂支店」を名乗って、自己の店で製造販売する煎餅や人形焼及びその製造販売の営業に「ゼイタク煎餅」と「重盛の人形焼」の標章を用いることを許され、現在、別紙「分店・支店一覧表」記載のとおり、東京都内及びその周辺に一八の分店と支店が点在している(もっとも、少なくとも別紙「分店・支店一覧表」の17の支店(又治と好雄の兄道勝が経営している)は人形焼を製造販売していない。)。

また、分店又は支店から独立する際にも、本件規約書に署名押印したうえで「重盛永信堂支店」を名乗って「ゼイタク煎餅」と「重盛の人形焼」との標章を使用することが許されており、分店又は支店の代表者が代替わり等で変更する場合にも、右規約書に「二代目」と付記して署名押印することが求められている。

(2) 本件規約書には、次のような取り決めが記されている。

一、登録商標ゼイタク煎餅の許可権は、人形町重盛総本店又は分店支店に永年勤続者にて優秀なる者に限り人形町総本店々主が認めたる場合許可するものなり

一、登録商標看板は小売店に限ること。但し、卸売をなす場合は先方(得意先)には絶対にゼイタク煎餅の名称をつけさせぬ事

一、店構へは総本店々主又は総本店代表幹事の一応決定を受けること

一、右以外は知人又は金銭にて許可せざるものなり

一、登録商標に類せざる商品販売又は総本店々主及び代表幹事が登録商標の名誉を毀損したと認めたる場合は何時たりとも取消すこと

一、右の各条項を守るは勿論その他総本店又は各分店支店に迷惑又は不都合の廉ありたる節は如何なる処分を受けるも異議を申立てざる事

一、各分店支店の一粁以内に支店を設置する場合は総本店及び近接の分店支店の承認を得ること

(3) もっとも、本件規約書中には「重盛の人形焼」の標章に関する明文の取り決めはなく、また、原告永信堂から各分店・支店に対し、人形焼の生地の配合や商品の値段についての厳格な規制はなく、ある程度、各分店・支店の裁量に委ねられている。

(三)  又雄の独立と旧又雄商店の設立

永治の弟(又治と好雄の父)である又雄は、昭和一三年一二月、暖簾分けを許されて重盛永信堂の武蔵小山分店として個人商店である重盛又雄商店の営業を開始し、総本店と同様に「ゼイタク煎餅」と「重盛の人形焼」の標章を用いて菓子の製造販売を営んだ。

又雄は昭和四〇年に死亡したため、妻の志ん子、長男治男、三男道勝及び四男又治が重盛又雄商店の営業を引き継いだが、昭和四一年に至り、個人商店を法人化した有限会社重盛又雄商店(旧又雄商店)が設立され、志ん子が代表取締役に就任した。程なくして、高校を卒業した好雄も旧又雄商店の営業に加わったが、昭和四五年一月には長男治男が西小山支店を、また同五二年一二月には三男道勝が寺尾支店をそれぞれ開店して旧又雄商店から独立したため、以後は又治と好雄が分担して旧又雄商店における菓子の製造販売に従事し、又治が「ゼイタク煎餅」を、好雄が「重盛の人形焼」を製造していた。もっとも、又雄死亡後、志ん子やその息子達は、原告永信堂に対し、武蔵小山分店の後継者を正式に報告することはなく、本件規約書に同分店の二代目が署名押印することのないまま推移した。

(四)  本件紛争に至る外形的経緯

(1) 平成二年一〇月ころ、志ん子が、好雄に旧又雄商店から独立するよう申し入れたことから、又治と好雄との間で、好雄が旧又雄商店から独立し、他所で店舗を構える方向での話し合いがされるようになった。そして、翌三年初めころ、志ん子は又治を伴って原告永信堂を訪れ、永造に対し、武蔵小山分店の後継者を又治とし、好雄は旧又雄商店から独立させる旨報告するとともにその許可を求めた。

他方、又治と好雄は、独立資金に供するための退職金の支払い、旧又雄商店に関する好雄の社員持分の買取りあるいは旧又雄商店店舗の借地権の持分の処理等について話し合いを続けたが、両者間で金額の折り合いがつかないまま好雄の独立話は具体化せず、平成三年四月ころ、又治は志ん子とともに原告永信堂を訪れた際、永造に対し、武蔵小山分店の買い取りを求めるほどであった。その後、平成三年七月ころに至り、又治と好雄は、好雄が他所で支店を開設するのではなく、旧又雄商店の店舗を取り壊し、新たに内部を半分に区分した一棟の建物(三階建て)を建築することを計画し、平成三年九月ないし一〇月ころ、又治がその設計図面を携えて新店舗の計画の説明のために原告永信堂に赴いた。

そして、これと相前後して、平成三年一〇月三日及び同月八日付けで、旧又雄商店から好雄、同人の妻のちづ子及び長男の雄一郎に対し、退職金として合計二二九七万一九〇〇円が支払われるとともに、同年一〇月四日には、被告会社の設立登記がなされ、右雄一郎が代表取締役に就任し、好雄はちづ子とともに取締役に就任した。また、翌四年一月一〇日には、又治は本件規約書に「武蔵小山分店 二代目 重盛又治」との署名押印をしている。

ところが、その後、好雄が別個独立した建物を建築するよう設計を変更したことから又治もこれに追随し、両者は独自に新店舗を建築するようになり、平成四年七月一日に被告(好雄)の店が、また同月二六日には原告又雄商店(又治)の店が開店して、それぞれが菓子の製造販売を営むようになった。

なお、又治は、平成三年一二月六日、菓子製造販売等を目的とする有限会社広治を設立し、翌四年七月二〇日に有限会社重盛又雄商店に商号を変更するとともに、同日、旧又雄商店の商号を有限会社人形焼に変更したが、好雄からの金銭請求を封じる目的で、同月三〇日には有限会社人形焼を解散させている。

(2) 右新店舗建築中の八ヶ月余りの間、又治と好雄はそれぞれ近所に仮店舗を設け、又治は「ゼイタク煎餅」を、好雄は旧又雄商店で用いていた型を使って「重盛の人形焼」を製造販売していた。

そして、新店舗開店後も、被告は右型を使って製造した人形焼を、その包装紙、袋、しおり、案内書、広告等に「東京名物 重盛の人形焼」の文字からなる標章を用いて販売しているほか、「東京名物 重盛の人形焼」及び「重盛の人形焼」という文字を記載した看板を掲げて和菓子の製造販売を行っている。なお、看板には「昭和一三年創業」との表示も掲げている。

(3) 他方、原告永信堂は、平成四年六月に、被告から開店披露の招待状を受け取ったことをきっかけとして、又治、好雄及び二人の兄である道勝を呼んで被告が原告又雄商店に隣接して別個の店舗で営業していることの事情を問いただし、また、原告又雄商店においても「重盛の人形焼」との標章を用いた人形焼の製造販売をするよう求め、現在、原告又雄商店では、「ゼイタク煎餅」とともに原告永信堂から交付された型を用いて「重盛の人形焼」を製造販売している。

(4) 原告永信堂は、平成五年一一月一六日、被告を債務者とする「重盛の人形焼」の標章の使用差止めを求める仮処分を東京地方裁判所に申し立て(後に取り下げられた。)、翌六年七月四日、原告又雄商店とともに本件訴訟を提起した。

なお、原告永信堂は、平成三年五月一七日に指定商品を人形焼とする「重盛の人形焼」との商標登録出願をし、翌四年一二月八日に出願公告がなされたが、平成五年に至り、被告が登録異議を申し立てている。

2  被告は、原告永信堂が暖簾分けの対象としているのは「ゼイタク煎餅」だけであって「重盛の人形焼」との標章はその対象にはなっていない旨反論するので、この点について検討する。

なるほど前記1(二)(2)、(3)のとおり、本件規約書の記載は「ゼイタク煎餅」に関するものにとどまり、「重盛の人形焼」を対象とした別個の規約書その他の書面が存する事実も窺えないし、分店・支店で製造販売される人形焼の生地の配合や値段について総本店の規制が及んでいるわけでもない。

しかしながら、前掲甲第五二号証及び原告永信堂代表者尋問の結果によれば、永治は、「ゼイタク煎餅」が商標登録されていた関係からこれを対象とした「登録商標規約書」を作成したものと認められるし、原告永信堂は、二〇年以上前に「重盛の人形焼」の商標登録出願をしたことが認められるが(このときは拒絶査定を受けている。)、かかる出願をしたこと自体、原告永信堂が「重盛の人形焼」との標章を暖簾分けの対象とし、その管理の必要性と標章の重要性を認識していたことが優に窺われる。

そもそも、一般に暖簾分けと称される行為は、老舗の営業主が、永年勤続して功労があり、技術的にも人格的にも信頼のおける使用人に対し、自己と同一又は類似の商号や標章を使用して、自己と同一又は類似の商品を製造販売することを許容し、これを許された者は、暖簾分けを受けて独立した後も本店と相携えて、取り扱う商品の品質の維持及び商号や標章の名声の向上のために協力、尽力するといった意味合いのものと解されるが、そこには、何らかの明文化された規約や取決めといったものも、商品に対する本店の厳格な規制が前提とされているわけではなく、本店と分店・支店間の暗黙の了解事項として、本店から使用を許された標章が何であるか認識されている場合もあると考えられるのであって、本件においても、前記1(二)(1)のとおり、一八ある分店・支店のうちのほとんどは「重盛の人形焼」との標章を用いて人形焼を製造販売しており、前掲乙第一号証によれば、人形焼を製造販売していない一店舗を除く一七店舗のうち、代表者が重盛姓でない支店は一一店舗にも及んでいるのであるから、原告永信堂は、暖簾分けに際し、登録商標である「ゼイタク煎餅」とともに「重盛の人形焼」の標章の使用を許し、これを暖簾分けの対象としているものと認められる。

三  「重盛の人形焼」の商品等表示としての周知性について

1  成立に争いのない甲第二五号証、甲第二七号証、甲第二九号証、甲第三〇号証、甲第三二号証ないし甲第三五号証及び甲第三七号証、原告永信堂代表者尋問の結果により原本の存在及びその真正な成立が認められる甲第一七号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第二〇号証ないし甲第二三号証の各1及び2並びに原告永信堂代表者尋問の結果によれば、<1>原告永信堂が製造販売する人形焼は、被告が営業を開始した平成四年七月一日までにも、和菓子を紹介する文献や旅行ガイドブック等に何度となく取り上げられており、その中には、「(創業)以後、人形町「重盛の人形焼」として多くの人から親しまれてきた。」(甲第二五号証)、「人形焼だけで毎日五〇〇〇個が売れ、時には焼きが追いつかなくて、客がズラリと並ぶことも。」(甲第三七号証)との紹介もされていること、<2>原告永信堂の最寄りの地下鉄の駅には、看板や椅子等での宣伝広告がなされ、また、少なくとも平成元年七月から同五年九月に至るまでの間、一週間に二回、午前一一時四五分ころに関東地域向けのラジオコマーシャルが流されていたこと、<3>原告永信堂の店舗がある人形町あるいは水天宮界隈は、東京の観光スポットとしてガイドブックに取り上げられる場所であり、東京以外からも原告永信堂宛に人形焼の注文があり、原告永信堂を知る者は広範囲に及んでいると認められること、以上の点に加え、前記二1(一)のとおり、原告永信堂は、その前身の個人営業時代の遅くとも昭和二年当時から、現在の店舗所在地で「重盛の人形焼」との標章を用いて今日に至るまで人形焼の製造を継続しており、その使用歴は、被告が営業を開始した平成四年七月一日までに少なくとも約六五年に及ぶことも考慮すれば、たとえ原告永信堂が百貨店等における出店販売等を行っておらず、暖簾分けを受けた分店・支店でのみ「重盛の人形焼」の標章が用いられているに過ぎないこと及びテレビコマーシャルによる宣伝広告活動を行っていないことが認められる(原告永信堂代表者尋問の結果)としても、「重盛の人形焼」との標章は、原告永信堂が製造販売する人形焼及びその製造販売の営業を表示するものとして、遅くとも被告が営業を開始した平成四年七月一日までには、少なくとも東京都及びその周辺地域の需要者に広く知られた標章であると認めるのが相当である。

2  また、不正競争防止法二条一項一号は、周知商品等表示のもつ出所識別機能、品質保証機能、公告機能及びこれによって取得される顧客吸引力を保護するものであるから、同号にいう「他人」には、特定の者から一定の関係に基づきある標章の使用を許された者も含まれると解するのが相当であるところ、前記二1(二)(1)のとおり、原告永信堂の分店又は支店は、暖簾分けを許された者が総本店に備えられた本件規約書に署名押印することで、「重盛の人形焼」との標章を用いることが許され、現在東京都内及びその周辺において一八店の分店・支店が存するのであって、右1で見たとおり、「重盛の人形焼」との標章が原告永信堂の製造販売する人形焼やその製造販売の営業を表示する標章として周知であることに鑑みると、原告永信堂から暖簾分けを受けた各分店・支店についても、「重盛の人形焼」との標章は、原告永信堂から暖簾分けを許された菓子職人が製造販売する人形焼あるいは右暖簾分けを受けた者の営業であることを表示するものとして、遅くとも平成四年七月一日までには、東京都及びその周辺地域の需要者に広く知られた標章であると認めるのが相当である。

そして、前記二1(四)(1)のとおり、武蔵小山分店の二代目として原告永信堂の承認を得たのは又治であるから、同人が代表取締役を務める原告又雄商店が、武蔵小山分店として「重盛の人形焼」の標章の使用を原告永信堂から許されているものと認められ(法的には、又治が自己が経営する又雄商店に標章を使用させていることを原告永信堂が認めているものと解される。)、「重盛の人形焼」との標章は、原告又雄商店の商品表示ないし営業表示でもあると認められる。

3  被告は、文献での紹介は「重盛永信堂(人形焼)」としか記載されておらず、「重盛の人形焼」とは載っていないと主張して、「重盛の人形焼」との標章の周知性を争う。しかしながら、「人形焼」が菓子の種類を表す一般名称化していることを考え併せると、「重盛の」という表記部分は「重盛永信堂の」という表記を省略し、当該商品の出所表示として用いられていることは明らかであるから、「重盛永信堂(人形焼)」との表示と「重盛の人形焼」との表示が同一の意味内容をもつことは容易に判別できるものと解されるし、前掲甲第一七号証によれば、前記ラジオコマーシャルでも、「人形焼なら重盛よ」あるいは「東京 重盛人形焼」との歌が流されており、原告永信堂と無関係に「重盛」を冠したそれ以外の菓子店の存在を認めるに足りる証拠もないから、紹介記事の体裁から「重盛の人形焼」との標章に周知性が認められないとする被告の主張は理由が無く、その他の被告の主張も前記1及び2に照らし採用できない。

四  誤認混同及び営業上の損害を蒙るおそれ被告が、その製造販売する菓子である人形焼の包装紙、しおり、案内書に「東京名物 重盛の人形焼」の文字からなる標章を使用し、その菓子製造販売の営業に「東京名物 重盛の人形焼」の文字からなる標章、「重盛の人形焼」の文字からなる標章を用いていることは前記二1(四)(2)記載のとおりである。右「東京名物 重盛の人形焼」の標章中「東京名物」の部分は、商品が東京の名物であるという事実又は東京の名物といわれるものでありたいとの願望を表現するものであり、多くの商品や営業の商品等表示に使用されるものであるから、「東京名物 重盛の人形焼」の標章中自他識別力を有するのは「重盛の人形焼」の部分であると認められる。

前記三のとおり、「重盛の人形焼」との標章は原告永信堂あるいはその分店・支店が製造販売する人形焼及びその製造販売の営業を表示するものとして、東京及びその周辺地域において周知であると認められるから、これと同一の文字からなり実質的に同一の標章(重盛の人形焼)又は要部がこれと同一の文字からなりこれに類似する標章(東京名物 重盛の人形焼)を用いて人形焼を製造販売している被告の行為は、被告が原告永信堂から暖簾分けを受ける等の形で許諾を受けるなどの業務上の関係があるものと顧客に誤信させる行為であると認められ、たとえ被告が原告永信堂の分店あるいは支店との表示をしていなくても、不正競争防止法二条一項一号にいう「他人の商品又は営業と混同を生じさせる行為」に該当する。

そして、被告の行為が、被告が原告永信堂から暖簾分けを受ける等の形で許諾を受けるなどの業務上の関係があるものと顧客に誤信させるものである以上、原告らは、被告の行為によって営業上の利益を侵害されるおそれがあると認められる。

五  抗弁について

1  原告らの承諾の有無

(一)  被告は、好雄は原告永信堂からも又治からも「重盛の人形焼」との標章を用いて人形焼を製造販売することの許諾を得た旨主張するので、まず原告永信堂との関係でこれを検討する。

(1) 又治が平成三年九月ないし一〇月ころ、原告永信堂を訪れて永造に対し、内部を半分に区分した一棟の建物の設計図面を示して今後の店のあり方を説明をしたことは前記二1(四)(1)のとおりであるが、原告両名の各代表者尋問の結果によれば、又治は永造に対し、一棟の建物としての店舗を半分に区分し、又治と好雄の仕事場を別々にして又治はゼイタク煎餅の製造販売を、好雄が人形焼の製造販売をそれぞれ担当し、会計(レジ)も別々にする旨を説明したところ、永造は、客に迷惑がかからないよう一つの店として違和感のないようにするよう指示し、具体的な方策は又治と好雄に委ねたことが認められる。

そして、<1>原告永信堂は、「ゼイタク煎餅」だけでなく、これと不可分一体のものとして「重盛の人形焼」の標章も暖簾分けの対象としていること(前記二2)、<2>本件規約書では、原則として各分店・支店が一キロ以内に存在することを認めていないこと(前記二1(二)(2))、<3>永造は平成四年六月に被告からの開店披露の招待状を受け取った後に、又治と好雄に加え兄の道勝までも呼んで、被告が原告又雄商店と隣接して別個の店舗で営業していることの事情を問いただしていること(前記二1(四)(3))、<4>証人重盛好雄の証言によっても、同人が直接永造に新店舗の運営方法や使用する標章についての説明をしていないこと、以上の事実を併せ考慮すると、原告永信堂は、好雄が又治と別個の店舗を構えて「重盛の人形焼」との標章を用いて人形焼を製造販売すること、ましてや、それが隣接する店舗であるなど周囲から好奇の目で見られる形態であることは、当初から予期していなかったものと認められ、好雄が又治と別個の店舗を構えた場合についてまで、原告永信堂から「重盛の人形焼」との標章の使用を許されたとする被告の主張は採用できない。

(2) なお、証人重盛好雄の証言中には、平成四年六月に好雄が又治らとともに原告永信堂を訪れた際、永造から「好っちゃんは重盛さんだから人形焼はかまわない。」旨言われたとの部分があるが、同人の証言によっても、永造が「重盛の人形焼」との標章の使用を好雄に対し許諾した事実は窺われず、右(1)の<1>ないし<4>の諸事実からすれば、永造がかかる許諾をしたとは認め難い。

(二)  次に、又治が好雄に「重盛の人形焼」との標章使用を許諾していたか否か検討する(なお、本件全証拠によっても、原告永信堂と無関係に分店内部の合意によって、許諾による「重盛の人形焼」との標章使用権が発生するものとは認められないから、原告永信堂との関係で右許諾の事実が認められない以上、又治と好雄との合意の有無は被告の抗弁としてはもはや意味はないが、原告又雄商店の請求の当否との関係で以下検討する。)。

(1) 原告又雄商店は、又治と好雄との間では、又治は「ゼイタク煎餅」を、好雄は「重盛の人形焼」を製造販売するとの役割分担合意をしたことはあるが、それはあくまで同一店舗・一棟の建物という前提であると主張するところ、前記二1(四)(1)、(2)のとおり、本件紛争は好雄が旧又雄商店から独立する話が発端となっていること、仮店舗営業中も新店舗開店後も、旧又雄商店で用いていた型を使って「重盛の人形焼」を製造販売していたのは好雄ないし被告であって、又治ないし原告又雄商店は、新店舗開店後、永造から求められて「重盛の人形焼」の製造販売をするようになったこと、又治は、好雄が別棟の建物に設計変更した際も被告が新店舗で「重盛の人形焼」の製造販売を開始した後も、特に好雄あるいは被告に対し、異議を述べていないこと、また、原告又雄商店代表者尋問の結果によって認められる、新店舗建築計画が持ち上がった段階で、好雄から別棟の建物を建築したい旨の希望があったことの諸事実と、本件全証拠によっても又治が好雄の右希望を明確に拒絶したことは窺われないことによれば、又治と好雄の右分担合意は、同一店舗、一棟の建物という前提を抜きにしたものであると解する余地もある。

(2) しかしながら、別棟の建物を建築したいとの好雄からの希望があった段階で、両者の間で二棟の建物を建築する旨の合意が成立していたことを認めるに足りる証拠はなく、かえって、証人重盛好雄の証言及び原告又雄商店代表者尋問の結果によれば、内部を二つに区分した一棟の建物の設計計画が進行する中、又治と好雄との間では、客が双方の店舗を行き来できるように境の壁をくり抜き、閉店時にはシャッターで区切ることが話題に上っていたことが認められ、この限りでは、外観的には一つの店舗とするための方策が両者間の懸案になっていたことが窺われる。また、証人重盛好雄の証言によれば、原告永信堂の分店・支店の店長の集まりには好雄も出席していたものと認められるうえに、前記二1(三)国のとおり、好雄は高校卒業後二〇年以上にわたって旧又雄商店での営業に従事し、その間二人の兄の独立の経緯を間近に見ているのであるから、好雄は、「重盛の人形焼」との標章が「ゼイタク煎餅」と不可分一体のものであり、分店・支店間には原則として一キロ以上の距離が本件規約書上要求されていることを充分認識していたものと考えられ、好雄は、かかる点を考慮に入れて分担合意をしたものと考えられるし、もし、好雄がこの点を度外視して又治は「ゼイタク煎餅」を、好雄は「重盛の人形焼」をそれぞれ別個独立して製造販売することができるものと考えていたとするならば、端的にいって又治と好雄との間では、「重盛の人形焼」の標章使用に関する思惑の違いがあったことを意味し、そもそも被告が主張する合意は成立していないことに帰着することになる。そして、前記(一)(1)のとおり、又治が永造にした新店舗完成後の運営についての説明内容からしても、又治と好雄の間でなされた前記分担合意は、好雄が旧又雄商店から独立するという当初の趣旨を生かしつつ、原告永信堂の意向や本件規約書の内容に反しないための妥協の産物として、又治と好雄の内部関係では、互いに別個の営業主体ないし経済主体としながらも、原告永信堂あるいは顧客との関係では、あたかも武蔵小山分店一店舗であるかの如き外観を装い、「ゼイタク煎餅」と「重盛の人形焼」の標章の分離と本件規約違反を回避することがその前提ないし条件とした合意であったと認められる。

そもそも、前記二1(四)(1)の事実に加え前掲甲第三八号証の2によれば、好雄は又治に対し、独立に際し種々の名目の金員を要求し、その金額も一億円を超える支払いを要求していたものと認められるうえに、金額的折り合いがつかずに好雄の独立話が具体化しない中、その対応に苦慮した又治が窮余の策として新店舗の建築という道を選び、永造に対しても暖簾分けの趣旨や本件規約書に抵触することのない新店舗の運営を説明し、一応の了解を得るところまで進んでいた経緯が看て取れるのであるから、好雄が又治に相談しないまま独自に別棟の建物に設計変更した段階で、又治が好雄との交渉を諦め、いわばさじを投げた状況に立ち至ったとしても無理からぬものがあり、又治が好雄あるいは被告に対し、仮店舗や新店舗開店後の「重盛の人形焼」の製造販売に異議を述べなかったとしても、そのことから直ちに無条件の分担合意があったものとは認められない。原告又雄商店代表者尋問の結果によれば、仮店舗では「ゼイタク煎餅」と「重盛の人形焼」双方の製造販売をするだけの人的物的設備が整わなかったことも、又治が好雄に対し異議を述べなかった原因の一つであると認められる。

なお、被告は、乙第二号証(志ん子作成名義の陳述書)を提出するが、証人重盛好雄の証言によれば、右陳述書の文面は好雄の妻が記載し、志ん子は単に署名押印したに過ぎないことが認められるとともに、右陳述書は、原告永信堂が被告に対する仮処分を申し立てた後の平成五年一二月二日に作成されたものであるから、その信用性に疑問の余地があり、その他右認定を覆すに足りる証拠はない。

(3) したがって、又治と好雄との間に、好雄が「重盛の人形焼」の標章を用いて人形焼を製造販売する旨の無条件の合意があったとする被告の主張は採用できない。

2  先使用について

又治と好雄との間で、好雄が「重盛の人形焼」との標章を用いて人形焼を製造販売することの無条件の合意が成立したものと認められないことは前記1(二)のとおりであるから、これを前提とした被告の先使用の抗弁は理由がないし、そもそも本件は、先使用の抗弁が成立し得る場合には当たらないと解される。すなわち、「重盛の人形焼」の標章は、原告永信堂ばかりでなく、原告永信堂から標章使用を許された分店・支店をも合わせた商品表示ないし営業表示であると認められることは前記三のとおりであり、又雄は、原告永信堂の前身である個人商店重盛永信堂を経営する兄永治から昭和一三年一二月に暖簾分けを許されて右標章を使用していたものであるから、ある営業主体(他人)が用いる標章が周知性を獲得する以前から、これと同一又は類似の標章を右営業主体とは無関係に用いている第三者について認められる先使用の抗弁が妥当する場合ではない。また、仮に「重盛の人形焼」との標章が、総本店たる原告永信堂とは別個独立した、武蔵小山分店の用いる標章として認識できるとしても、それは、原告又雄商店及び被告の設立以前は、又雄個人商店とその営業を引き継いだと認められる旧又雄商店の営業ないし商品を示す標章として認識されるのであって、前記二1(四)(1)のとおり、好雄とその家族は、旧又雄商店から退職金の支払いを受けて旧又雄商店を退社し別個に被告を設立しており、その際、被告が旧又雄商店から営業譲渡等によってその営業を引き継いだものとは認められないから、被告は、不正競争防止法一一条三項にいう「その商品等表示に係る業務を承継した者」に該当せず、先使用の抗弁の前提を欠くものと言わざるを得ない。

よって、この点に関する被告の主張も理由がない。

六  以上によれば、「東京名物 重盛の人形焼」又は「重盛の人形焼」の文字からなる標章を人形焼(菓子)の包装紙、しおり、案内書に使用する行為、右各標章を包装紙、しおり、案内書に使用した人形焼(菓子)を販売し又は販売のために展示する行為、和菓子製造工場及び同販売店の営業に右各標章を使用してその営業を行う行為は、不正競争防止法二条一項一号に該当し、これによって原告らの営業上の利益を侵害するおそれが認められるから、原告らの、被告の右商品である人形焼(菓子)の包装紙、しおり、案内書及び被告の営業である菓子の製造販売への右各標章の使用の差止め及び被告の販売店の店舗の看板からの右標章の抹消請求は理由がある。

七  結語

よって、原告らの請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民訴法六一条を、仮執行の宣言につき同法二五九条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 八木貴美子 裁判長裁判官西田美昭は転補につき、裁判官池田信彦は転官につき、いずれも署名押印できない。 裁判官 八木貴美子)

別紙

分店・支店一覧表

分店・支店名 独立時期 所在地

1 巣鴨支店 昭和8年 豊島区巣鴨

2 西早稲田支店 〃10年 新宿区西早稲田

3 武蔵小山分店 〃13年 品川区小山

4 南千住支店 〃29年 荒川区南千住

5 佐竹通り分店 〃32年 台東区台東

6 大塚支店 〃37年 豊島区南大塚

7 千歳船橋支店 〃38年 世田谷区船橋

8 金町支店 〃41年 葛飾区金町

9 杉並支店 〃42年 杉並区和田

10 富士見台支店 〃42年 練馬区貫井

11 板橋支店 〃44年 板橋区板橋

12 中延分店 〃45年 品川区中延

13 西小山支店 〃45年 目黒区原町

14 成増支店 〃47年 板橋区成増

15 東長崎支店 〃48年 豊島区長崎

16 三河島支店 〃50年 荒川区荒川

17 寺尾支店 〃52年 綾瀬市寺尾釜田

18 佐貫支店 〃53年 茨城県竜ヶ崎市

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